ところが最近、「将棋は終盤」という概念に少なからず疑問を持ち始めた。それも序盤研究の先鋭化されたプロ棋界を眺めて、というわけではない。
筆者の疑問の拠り所は棋界は棋界でもコンピューター将棋界にある。詰みのある局面での正確さ、着手の速さに代表されるようにコンピューター将棋こそ「将棋は終盤」を具現化しているようにも思えるが、逆に言えば既にそこには終盤力の差が介在する余地が少なくなっているのではないだろうか。
ご存知の方もいると思うが、Bonanzaという将棋プログラムがフリーソフトながらも実に強いと最近評判である。筆者も先日ダウンロードしてお手合わせと相成った。作者によればBonanzaの将棋倶楽部24でのレーティングは約2400、対する筆者は約2100といったところか。
通常であれば下手にまず勝ちのない手合いである。ところが数局指しての戦跡はむしろ筆者の勝ち越し。勝因は明白で、序盤下手の筆者にも関わらず先攻逃げ切りにあった。レーティングという制度がどれだけ実力を正確に反映しているかという問題はさておき、いかにコンピューター将棋の課題が序中盤にあるとはいえ「将棋は終盤」に相反する現象である。
アマチュア竜王戦での激指の活躍を待つまでもなく、コンピューター将棋の進歩は既に「いかに序中盤を強化するか」という段階に来ている。プロのトップレベルでも各棋士の個性や人間ゆえの逆転劇などはあるものの、序中盤に重きを置く風潮が色濃い。筆者の「将棋は終盤」に対する疑問は、終盤力そのものが不要と言いたいわけでは無論なく、もはや終盤力はある一定の水準を越えた戦いにおいては、勝負に勝つための前提条件にしかならない時代が訪れている(あるいは遠からず訪れる)という実感の表れである。
しかしこれは、いかに終盤力が詰みの力だけに依存しないとはいえ、二桁手数の詰め将棋もろくに解けない筆者にとっては極めて剣呑な事態と言えるのだが…。
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