四間飛車党の備忘録

四間飛車メインで振り飛車・相振り飛車・右玉なども含めあれやこれや綴っていきます。

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回顧録

 たまには昔の話をしようか。

 入部当時のW大学は強かった。当時は順位戦全消化は当たり前、1年生が加わった第2期からは私の一つ上の代が20名以上おり、そのほとんどが順位戦に参加していたためC級もでき、そのC級もほぼ全消化され部内には活気があふれていた。私は部内新人王戦4位、新人王戦ベスト16(優勝はH川)とまずまずの結果を残した。しかし合宿では5-10、4-12とダブルスコア・トリプルスコアで負け越した。
 そして学生棋界全体のレベルが高かった。そんな中で私は個人戦予選で強豪を引き続け(一番弱い相手が東日本大会出場者)、4年の春まで予選で散っていった。
 肝心の団体戦だが、私が1年次にW大は結果からすると春秋連続優勝した。それはよかったものの、東大には直接対決で負けつづけていた。
 そして王座戦。私は応援にすら行かなかった。理由はもう時効だから話してしまうが、「四日市まで行くのがだるい、金がかかる」。
 こうして私は最初の王座戦優勝という喜びの瞬間に立ち会えないこととなった。

 私は2年になった。当時順位戦で私は第1期B2にいた。そこから連続昇級。この記録はぽいずん氏が達成するまで偉業として部内の中に残った。合宿でもようやく指し分け、勝ち越しの成績を残した。
 肝心の団体戦はやはり連続優勝。しかも東大を倒してのものであった。我々は王座戦連続優勝は当たり前という雰囲気で四日市に向かった。私も登録メンバーとなり、意気揚揚であった。
 もし東大に勝ったらお前を王座戦に出そうか。そんな話を戦前から幹事長はしていた。こんな態度では勝てないのもムリはない。結果は東大との直接対決に負け、連続優勝の夢は幻と消えた。

 私は3年になった。A級からはすぐ落ちた。マグロでないのが唯一の救いであった。しかし次期にすぐA級に復帰(よって私はB1に残留したことがない。必ずA級に昇るからである。これ以後私はB1では必ずトップ昇級を勝ち取っていき、やがてA級残留を果たすことの方が多くなった)、4-3の好成績で残留を決めた(H川にも二歩を打たせて勝った)。合宿では勝ち越すのが当たり前となった。
 しかし個人戦では学名4位の強豪を引くなどして相変わらず予選を突破できずにいた。
 肝心のリーグ戦はというと、A部さんの就職活動によりついに私もリーグ戦デビューを飾った。しかし結果は惨敗。私の振り飛車穴熊は豆腐のように崩れ去っていった。チームも東大に負けて優勝を逃した。
 そして秋。やはり我々は東大に負けた。しかし慶応が東大に勝ち、タナボタのような形で我々は優勝した。しかも選抜トーナメントでも東大は慶応に負けた。慶応に相性の良かった我々にとっては千載一遇のチャンスであった。
 そして王座戦。K山さんとWブチ氏の「あなたとは感想戦をしたくありません」事件などもあり、我々は最終戦を待たずして優勝を決めた。「私やT中D司を出そうか」そんな声もささやかれる中、H川主将の決断は「最後までフルメンバーで戦う」であった。
 しかし最終戦慶応に3-4負け。王座戦優勝こそしたものの、ここからが我が将棋部の凋落のはじまりであった(余談だがこの時には出場選手と幹部は胴上げされた。しかし出場していない私は胴上げされなかった。人生で胴上げされる機会などめったにない。惜しいチャンスを逃したことになる)。

 4年になった。私は個人戦でS木T幸氏に負けたがその内容は悪くなく、T口主将に「基本的に全試合リーグ戦で使います」といわれた。こうして私はスタメンの座を勝ち取った。
 しかし肝心の将棋が冴えない。初戦に負けると、T口主将は約束を100パーセント翻してこう言った。「内容が悪すぎます。調整して下さい」と。
 2戦目にして早くもレギュラーの座をU澤君などに奪われた私。再出場は5戦目であった。その将棋も藤原システムの前に散っていった。リーグ戦3連敗である。チームも優勝を逃した。
 しかし私はめげなかった。個人戦でついに強豪を引かず、念願の予選突破を果たした。調子に乗った私はベスト16まで昇り(今のベスト16とは価値が違いますぞ)、再びスタメンの座をもぎ取った。
 最初のM川戦。氏も16の強豪である。しかし勢いは私にあり、これまた念願のリーグ戦初勝利をあげることができた。しかしその勢いも個人戦当時優勝のK川君に止められ、後はずるずると連敗。私は再びレギュラーの座を追われた。4試合出場したため古豪新鋭戦にも出られなかった。
 秋のリーグ戦も優勝を逃し、そして選抜。私は三度スタメンの座を勝ち取った。初戦は不戦勝。次なる相手は東大である。私は意気揚揚と、もとい戦々恐々として対局に臨んだ。
 惨敗。それが私を待ち受けていた結果だった。チームも2-5(記憶が不確か)で敗れ、5年連続の王座戦出場を逃した。
 ちなみにH川・Lenazo氏、T口の本命不在の中、私は早稲田最強者に輝いた。

 5年になった。この後のことはS藤にでも聞けば分かるが、私は相変わらずのスーパーレギュラーとなり、たまにしか試合に出なかった。
 しかしそんな中、私、K山、K山、K合さん、K田(Kばっかりだなあ)で結成された古豪新鋭戦チームは初日を15-0の快進撃で終えた。K山(事故っちまう人。最近まで在学していた)に私の成績を下回ったらアンナミラーズへ直行などと言われ、私は戦々恐々としていた。
 しかし二日目はK合さんが不参加、おまけに代わりに入ったS田が筑波の強豪のN中氏と当たり、全勝は絶望的かと思われた。
 しかしS田はN中氏に勝った!チームも25-0と快進撃をやはり続けていた。しかし通常通りいけば次の当たりは私の苦手のI籐T也。応援に駆けつけたK合さんに私はこう進言した。「こうなったら30-0を目指しましょう。S田君には悪いけど、K合さん試合に出てください」
 そして当たりがずれ、私の相手はS藤となった。当時将棋が若かった彼に私は快勝、これまた念願だった古豪新鋭戦全勝を勝ち取った。しかし伏兵が我々の行く手を阻んだ。M王ことI川である。K田が彼に討ち取られ、我々の記録は29-1となった。おそらく新記録ではないかと思われる。そして今後この記録が破られることはないと思われる。何故なら今の古豪新鋭戦のシステムでは勝ったチーム同士が当たり、星が極端に偏ることはないからだ(当時のシステムはブロックを作り、隣のブロックと優勝決定戦を含む最終戦、例えばAブロックならBブロックと戦うというシステムだったからだ。よって空洞ブロックに入った我々の快進撃も為しえたと言える)。優勝商品はある意味MVPとも言えるS田君が取りに行った。
 春は個人戦で不覚を取ったものの、秋は私も64入り。しかしS木T幸氏がまたも私の前に立ちふさがり、64どまりとなった。
 私はこの間リーグ戦にも出場している。相変わらず負けが込んでいたが、当て馬を読みきったH川により作られた当て馬対決でM地氏に勝つなど健闘した。
 
 6年のことはあまり覚えていない。個人戦は64まで必ず勝ち進んだ記憶がある。古豪新鋭戦では負けた記憶がある。部内順位戦でW大名人まで7/8までいきながら逃した記憶がある。しかし私は将棋に対する情熱を半ば失っていった。そんな私にリーグ戦、そして選抜出場の機会はなかった。

 7年になった。相変わらず古豪新鋭戦には参加していた私(私は9連勝で自らの大学棋歴を終えている)にT木主将から選抜トーナメント登録の打診があった。私は明治が当て馬としてまた私を使うと読むのではと考え登録を了承した。そして案の定私の出番があった。しかし当時大学にすら来なくなったLenazo氏の出場は難しいと思われた。
 そこで私が説得を自ら買って出た。電話口で半ば涙を流しながら私は言った「スリーセブン(私、Lanazo氏、H川)で選抜トーナメント優勝を勝ち取ろう」と。
 私の説得が通じたのか、大会当日Lanazo氏は姿を現した。そして東大に挑んだ。しかし結果は2-5負け。最後に残ったH川まで負ける始末で、2ちゃんねるのスレッドには「スリーセブン揃って討ち死に」の文字が躍った。
 しかし誰かが、例えば私がI川氏(氏と当たるのは個人戦とリーグ戦についで3度目。腐れ縁としか思えない)に勝っていれば、H川は負けることはなかったのではないか。それだけが私の心残りである。そして最後のI川戦、負けはしたが私の心はようやく悟った。「そうか、こういう心構えでリーグ戦や選抜、王座戦に挑めばいいのか」と。
 そして選抜終了後、私は古豪新鋭戦に戻っていった。これが大学将棋の最後の対局となった。試合は快勝。私らしい引き際であった。

 8年になった。私はバイトに勤しみ、水曜日の6限終了後S藤たちとビルディに行くだけの部員となった。私はなんとか卒業を果たし、私の学生棋界での生活も終わった。

 思えば私は典型的な内弁慶であった。リーグ戦の通算成績は2-8、選抜は1(不戦勝)-2であった。しかし後に主将となる人材を私は部内戦で次々としばいていった。M瀬以外は往復ビンタを食らわせた。特にK藤(王様)には相性がよく、確か4連勝か5連勝しているはずである。通算の成績もT木も含めて勝ち越している。
 そんな私が対外戦で活躍できないのは、個人戦予選の当たりの悪さもあるが、やはり夜型の生活を続けていたせいであろう。晩年は徹夜で古豪新鋭戦に挑んだりもしていた(それでも勝つあたり、私もそう捨てたものでもないかもしれない)。

 ここまで読んでくださった方、どうもありがとうございました。私の拙い文章で、かつてのW大の雰囲気が少しでも伝われば幸いです。あと私の正体に心当たりのある他大の方は是非コメント下さい。
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懐古趣味が悪いというわけではないが

 この文章を書いている時点でまだ最新号(10月号)を読んでいない。そんな筆者に語る資格があるかどうかはさておき、最近の『将棋世界』には懐古趣味的な雰囲気が漂っているように思われて仕方がない。
 その良し悪しはさることながら、日本将棋連盟のページで見た今月号の表紙には大きく「丸田祐三九段、陣屋事件を語る」の文字が躍る。また付録は先月に引き続き「大山康晴 忍の一手」である。数十年前の話題を大々的に振り返るこうした姿勢に、違和感を覚えるのは筆者だけであろうか。
 瀬川アマのプロ編入試験六番勝負を例に挙げるまでもなく、将棋界はファン拡大、普及に向けて改革を進めるべき時期に来ている。その真っ只中に懐古趣味的な記事を大書きにして前面に押し出すというのは、賢明なやり方とは到底思えない。少なくとも表紙に大きく取り上げるべきは瀬川アマの二戦目勝利、ないしは羽生四冠対佐藤康光棋聖の十七番勝負関連の話題ではないだろうか。
 ここで終われば本文の主題は明確なものとなるのだが、問題が一つある。それは先に挙げた丸田九段の記事や大山先生の付録の内容をとても面白い、と筆者が感じていることだ。客観的に見ても筆者は将棋ファンの中でもかなりコアな部類に入ることは間違いないが、そうした者にとっては戦後間もなく、ひいては戦前にまで遡る将棋界の知られざる秘話といった題材は魅力的というわけか。
 米長新会長は先月の『将棋世界』誌において、巻頭雑感と題して就任演説めいた文章を寄稿している。その中に「ファンの声を大事にして、普及部と連動しての誌面作りを目指します」「将棋世界はプロの雑誌ではなく、アマチュアに支持され、読んでもらうための工夫、努力をして参ります」とあるが、その結果が懐古趣味的な特集記事に結びついたのか否か。事の真相が気になる次第だ。

出やすい側は表か裏か

 新聞の観戦記でも触れられていたが、振り駒の結果を歩が何枚、と金が何枚というように記録用紙に記入することが義務づけられた。一局の将棋において先手を得るか後手となるかは、プロにとってはまさに死活問題。その統計を厳密に取ろうという狙いらしいが、いささか証文の出し遅れという感は否めない。
 そもそも振り駒という手法そのものが、考えようによっては人の手によって意図的な操作がある程度可能ではないだろうか。振るものは違えど、賭博小説や漫画などにはサイコロで意のままに出目を操る設定が頻出する。それが将棋の駒になったと考えれば至難の技とはとても思えないだろう。
 第三者的立場にある記録係が振り駒を行なうプロはさておき、アマチュアにおいては対局の当事者、主に上手が駒を振ることがほとんどである。ある程度イカサマの訓練を積む、歩が出やすいように細工された駒を自ら持参するなどの姑息な企みによって、先手を引く確率を上昇させる輩がいないとも限らない。
 幸いにしてと言うべきか、コンピューター将棋においては以上のような問題は皆無である。先後の決定はプログラムの管理に委ねられ、両対局者の力と思惑の一切関係ない次元で決定される。ネット上を主たる対局の場に選んでいれば、むしろ振り駒という行為に馴染みがなくなるであろう。
 筆者などは逆に、何の前触れもなく先手後手が決まることに違和感を覚える。サイコロを振りどの箇所から杯を持ってくるかまで再現することの多い麻雀ゲームと同様に、コンピューター将棋でも歩を五枚振るという儀式を何らかの形で対局開始前に表示して欲しいというのは少数派の意見なのであろうか。
 四間飛車という戦法は先後どちらでも用いることができ、かつそれほどの差は生じない。相手との相性いかんによっては後手が欲しいと願うことすらある。かかる理由により先手後手の問題には比較的無頓着な筆者が述べるのもお門違いだが、冒頭の統計により歩は構造上の理由から表裏いずれかのほうが出やすいなどという結論が導き出されてしまえば、それはそれで問題なのではないだろうか。

観戦記について考えてみる

 もちろんこれまでも新聞の将棋欄には目を通してきた。振り飛車系統の将棋ならば熱心に読み、果ては切り抜いて保存することもあった。しかし今現在、筆者はかつてないほど観戦記に注目している。
 とは言っても現在掲載されているものに対してではない。既に総譜を知っており、また筆者なりにあれこれ愚考してみた対局に関して、今後観戦記ではどのような結論が導き出されるのか、それが楽しみなのである。
 読み手としては特殊なスタンスの部類に入るかもしれない。しかしネットによる中継などの普及により、リアルタイムで棋譜が手に入りやすくなった時代、観戦記のあり方も変わってくるのではないだろうか。
 そもそも良い観戦記とは何か。その定義づけは難しく、人によって様々な意見があるのではないだろうか。自分で将棋を指すというより棋士のファンとしての色合いが濃い者にとっては対局中の仕草などが活き活きと書かれていることが重要であろうし、有段者にとっては指し手の解説が隅々まで行き届いていなければ不満に違いない。
 筆者個人としてはやはり後者に重きを置きたい。速報性に対抗し得るのはやはり時間をかけた詳しい内容の検討であろう。もちろん解説ばかりで無味乾燥なものに仕上がるのも読み物としてはつまらない感があるが、やはりどこで勝敗は決したのかを詳しく述べるのが最優先事項ではないだろうか。加えて先に挙げた二つ以外にも観戦記の面白さとして様々な要素が考えられるが、それら複数、ひいては全てを盛り込むことは不可能ではないはずだ。紙面のスペースが限られているという制約と戦わねばならない事情も、文章を書くことによってたつきを得ている観戦記者としては、厳しい見方をすれば言い訳とも思える。
 観戦記ではなく自戦記であったが、肝心の将棋はおろか対局風景にも言及せずに己の主張ばかり繰り返すようなものも最近見受けられた。それは論外としても、改めて読んでも速報で得た情報と大差ない、そのような観戦記では自らの存在意義を自ら否定することになりかねない時勢であるのは間違いないだろう。

実力勝負の世界と発言

 『将棋世界』九月号において興味深い新連載が開始された。渡辺明竜王をホストと称して、おそらくは毎回ゲスト棋士を迎えてのトークが今後展開されるであろう「話題の将棋、本音で語ろう!」である。
 瀬川アマのプロ編入試験に関する星勘定を実名込みではっきり述べるなど、ここでも渡辺節は冴え渡っている。竜王も辛口という評判が定着して久しいが、プロ・アマ問わずトップレベルの猛者達を見るに、直接的な物言いをする人物が際立つように思えるのは気のせいであろうか。
 具体例を挙げるとすれば、羽生四冠もその一人である。数々の語録を見ても明らかなように、その発言のストレートぶりは個人に対してではなく主に将棋の本質に向けられている。いわく「終盤は八百通りのパターンに分類できる」「打ち歩詰めが禁じ手でなければ先手必勝」など。
 こうした背景には将棋そのものが勝負の世界であり、勝ち負けという形で明確に決着がつくことがあると思う。また勝敗が決した後も、感想戦という形で双方の主張をぶつけあう。お互いが同じ観点に立っているならさておき、真逆の立場で感情論の入る余地なく相対し、なおかつ優劣がつき雌雄を決するという状況は、盤を挟んでいるとはいえ普通であれば日頃なかなか経験し得ないものであるのではないだろうか。
 白黒はっきりした場に自らを置いているからこそ、その言葉もまたしかり。こうした図式はしかし、一歩間違えれば対象に不快感をもたらす原因と即成り得る。アマのみならずプロ棋士の中にもこうした配慮を明らかに欠いていると思われる者も見受けられる。こちらの具体例はあえて述べないが、間接的な物言いで同様の不快感を相手に与えている者もいるに相違ない。
 将棋において強者であるからこそ、自らに自信を持ち過ぎるあまりの傲慢な発言を為すのではなく、あくまで謙虚に。断じて強者や猛者などではない筆者としても、高慢な言い草だが以って他山の石としたいところではある。
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